宇野千代さんについては前も紹介しましたが(こちら→http://blog.drecom.jp/hanapring/archive/233)、
それで彼女のエッセイがとっても心に残ったので、また「百歳(ももとせ)ゆきゆきて」という本を図書館で見つけて読みました。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4418025049.html

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これもエッセイ集です。
文庫ではなくハードカバーでけっこう厚みがありますが、中身も同じく深い!
その深みのあることを彼女が実にシンプルに書いているんですね。

幼いころの記憶、産みの母と育ての母について、そして数々の恋愛について。
または彼女が興味を持っていた人形を作る職人の話、小説を書くこと、小説仲間のこと、年を取ること・・・

なんといっても100歳近くまで生きた彼女のバイタリティが文章からも伝わってきます。
100歳だろうが、何歳だろうが、いつでも希望をもって、目標を持って、毎日を暮らすこと。
晩年の彼女は年老いたことを言い訳にしたりせず、「おはん」を超える本を書きたい、私には書ける、と言って毎日机に向かっていたそうです。その向上心の高さにも、恐れ入りました。
ほんとうにいくつになっても何かするのに遅いって事はないんでしょうね。

ひとつ彼女のことばでとっても印象に残ったのが

「人が聞いたら、吹き出して笑って丁うようなことでも、その中に、一かけらの幸福でも含まれているとしたら、その一かけらの幸福を自分の体のぐるりに張りめぐらして、私は生きて行く」

というくだり。
彼女曰く、幸福のかけらはどこにでもあって、ただそれを見つけるのがうまい人と下手な人がいるというだけだ、と。
または不幸せでいることを自慢するような人もいる。でも人間同士の付き合いは心の伝染、心の反射が全てだから、なぜ好き好んで不幸な気持ちの伝染を願うのか、だったら私は自分の幸せを周りに伝染させる花咲かばあさんになりたい、というんですね。

この彼女のポジティブ思考!すごいなあ、と思いました。

あと彼女が一時凝った阿波人形浄瑠璃の顔つくりに生涯をささげた、人形師天狗屋久吉の言葉もよかったです。この人は1858年生まれで千代がわざわざ阿波まで彼をたずねに行った時、すでに84歳。
60年間、自分の店の同じ場所に座って淡々と作業をしてきた、という職人。

「生きております中に、いろいろと考えて工夫しますのが、人間の芸の生きたところではございませんやろか。
生きている中に、もうこれでええと思うたら、そこでお仕舞でござります」

千代も彼の言葉の数々、そしてその人生にとても感動したようで、上にあげた天狗屋の言葉と同じようなことを千代自身が晩年になっていっているんですね。

でもちょうどいろいろ落ち込んでいるときに読んだので、「落ち込んでちゃいられないな」、と本当に励みになりました。
そしてどんな状況にあっても、決して望みを捨てず、何かいいことがあるんだ、と動き出すことの大切さというのを彼女の文章からまた再確認しました。

幸せになるかなれないかは自分次第。自分が幸せになって周りにも幸せをわけてあげられるような、そんな人に私もなりたいなあ、と思いました。

本の表紙も彼女が好きだった桜の花びらを散らした着物の生地のような素敵な美しいものです。

やっぱり彼女、いいな。今度は彼女の小説も読みたい。やっぱり「おはん」かな。