今日はちょっと愚痴です・・・

カナダに来てもうすぐ4年。
早かったような、長かったような・・・

運良くカナディアンのフルタイムの仕事も持って、それなりの責任ある仕事を任されているし、日常生活で困ることもないけれど、やっぱり時々寂しくなる。

こっちでも日本人の友達はいるし、みんなとーってもいい人で、私と同じような思いを分かち合える人もいる。
トロントでの友達ともずっと仲良くいたいし、決して文句なんかない。

でも、やっぱり昔からの仲のよい友達が恋しくなる。
何もしないでただおしゃべりして歩いた東京の街。
クラブに行くとか、そんな派手なナイトライフじゃなくて、
もうウィンドーショッピングする店は閉まってきちゃったし、
特別に行くあてもないけど、もう少し友達とこうしてぶらぶらしていたいな、という夜。

そういうのがむしょうに恋しくなる。

そんなのここでだってできるじゃん?って思うと思う。
でもそれは「行動」だけでなく、その「人」と「場所」がひとつになっているからこそ、私にとっての恋しいものになる。

トロントはいい街。
東京とは違うし、いいところも悪いところもいっぱいあるけど、私にも合っていると思う。

それは東京にもいいところと悪いところがあるけどやっぱり好き、って言うのと同じ。

でもやっぱり長年育って、通いなれた場所には思い出が残っていて、特別なものになるんだね。

何気ない地元の町並みや雰囲気が今本当にまぶしくて、暖かくて、切ない場所に思えてくる。

ないものねだりなのはわかっている。

今日本に帰って、自分が恋しいと思っていたもの、人に出会い、それを満喫したとしたら、満足するでしょう。
でもその満足はきっと長くは続かない。

そこで今度はまたそういう何気ないことがマンネリと思うようになって、その大切さを見失って、何かしなくては、って焦る、んじゃないかと思う。

カナダに来て、今までの自分の生活が恵まれていたって言うのはよくわかったけど、その全てに戻りたいのか、っていわれたらやっぱり「No」だと思う。

それはやっぱりカナダに来て自分で苦労して得たものがあるから。日本にいたころの自分にはなかったものがあるから。

でもないものねだりで「友達ともっと会えたらな」「こういうときあの人と、ただおしゃべりして、あの辺をうろついたりしたいな」とか思ってしまう。

病気の(一応)デイブを気使って、出かけたくても出かけられなかったり、いらいらしたり・・・

デイブの手術が12月に決まって、そんな今の状況にどう対応したらいいのかもわかるようになってきたし、冷静に対処しているけれど、やっぱりこういうときにふと故郷とその人々が恋しくなる。

そうなるとどうしようもなく悲しくなって、落ち込んで、デイブに当たって、自己嫌悪に陥ったり・・・
だからできるだけそういうこと考えないようにしよう、って思ったり、でもうやむやにしていいの?と思ったり・・・

ポジティブにいこう!って思っているけれど、姉が来るのを楽しみにしつつ、「姉が帰ってからきっとすごく寂しくなっちゃうだろうなあ」なんて思ってしまうんだから、やっぱり私はペシミストかな・・・