「東京タワー」を読んで、ちょっとうちの両親、家族のことが書きたくなった。
これ思ったのはうちの母にちょっと似てるなあってこと。

うちの母は満州で産まれたのですよ。
祖父が兵隊として満州にい、祖母は大きなお腹を抱えて向こうの病院で母を産んだのです。

祖母はその後ひとりで先に日本に帰るんですが、
その船の中で病気や餓死をしてしまった母と同じくらいの赤ん坊を
海に泣きながら投げ捨てる人がたくさんいた、ということをよく話してくれましたが、
祖母も「このままこの貧乏な生活の中でこの子を育てられるのか」という不安で、
一瞬母を海に投げようかと思ったことがある、と当時の気持ちを語ってくれたことがありました。

祖母が思いとどまってくれてよかった。
そうでなければ私も今ここにいないのだから。

祖母と母は祖父の田舎の青森県の実家に居候。
農家だったのでとりあえず少しは食べるものはあったらしいですが、
母は赤ん坊のころはガリガリに痩せていたそうです。

それでも母はその後健康に育って、一家は東京に引っ越します。
祖父と祖母はそこでテイラー業をはじめます。
一時期は縫い子さんなどを含め10人もの人が働いていて、
とにかく忙しくにぎやかだったそうで、母もそんな中で育ってきたからか、
人付き合いのうまい、明るい人柄になったのかな?

母は中学までは学校にいき、そのあとは家で裁縫の手伝いをしていたようです。
お見合い結婚でうちの父と一緒になるちょっと前に他の店で
やはり縫い子として手伝いに出たりしていたみたいですが。

結婚して数年後に長男を出産、そのすぐに長女、そして数年あけて私が生まれたわけです。

父は東京都大島生まれ。
生まれたとき既に父親は亡くなっていて、母親は父と伯父を親戚に預けて働いていたようですが、
その母も亡くなって、父と伯父はその親戚のおじさんに育てられたわけです。
でもやはり自分はよそさまにお世話になっている、という気持ちが強くて
早く独立したい、そう思ってまずは手に職をつけなければいかん!と、
大工の見習いに出たそうです。

見習いをしながら定時制の高校に通い、一通りの技術を身に付けて、
東京に上京し、そしてうちの母と結婚することになったのです。

父はけっこうな遊び人で、仕事のため(父は後に自分の工務店をはじめました)
もありいろいろ人付き合いで飲みにいったりしていたようです。

私が大きくなって既に父が浮気をしていることなんかもしっていたけれど、
母はそれにじっと耐えていたのですね。
やはりそれは子供のことを考えて、そして今まできちんと働いたことのなかった母にとって、
父と別れて3人の子供たちをきちんと育てられるのか、という経済的な不安もあったから、
と後に聞いたことがあります。

そんなこんないいながら、今でも一緒に、いまや父も老いて、
母に頼る部分(精神的に)も多くなってきているようで、
長年連れ添った仲、仲良くやっているようです。
とはいってもやはり父はいまだにわがまま、亭主関白ですが。

続く