昨日から始まったバンクーバー・オリンピック。
カナダ・トロントではあんまり盛り上がっている感じはしないですが(多分一番盛り上がるのはやはりホッケーでしょうか・・・)、
私はオリンピックってなんだかんだ言って、いつも見ています。
特に見るのがすきなのが開会式。
昨日も見ましたが、実にカナダらしいモチーフをちりばめた感じでしたね。
このバンクーバー・オリンピックではオフィシャルロゴもそうだけど、カナダの先住民の人たちをリスペクトている、といったメッセージをどうやら醸し出したいようで、開会式でも十分にそういったところが見られましたよね。
でも実を言うと、結構複雑な気持ちで見ていました。
というのはカナダに住んでもう7年目。
カナダという国がどのように先住民を扱ってきたかということは知っています。
アメリカと同じように、彼らはヨーロッパからやってきた人々に追い出され、キリスト教に改宗させられたり、その文化を剥奪されたり。
「先住民」というとアルコール依存症の人たち、といったイメージさえあるほど。
そして彼らが集められたエリア周辺でオイル採掘が行われ、彼らの健康を蝕んでいたり・・・
もうひとつ開会式を通してカナダが伝えたかったのは、さまざまな人種、文化が融合した「カルチュアル・ダイヴァーシティ」ということでしょうか。
でもカナダの選手たちの顔ぶれはまったく「カルチュアル・ダイヴァーシティ」、さまざまな人種が見られることなく、ほぼ9割がいわゆる白人種であったと思います。
それはもしかしたら冬季オリンピックの種目がもともと寒い国で栄えたスポーツを中心にしているから、ということで、必然的にも、それらスポーツに慣れ親しんできた人々がうまくて、代表になっているというのもあるのかもしれない。
でも2010年の今、カナダという国を見れば、それこそ本当にいろんな人種が混ざり合って暮らしているわけです。
それなのに、カナダという国を背負って出てきている人々の顔ぶれのなんと単調なことか・・・
その奥に、多くのスポーツ用品などを必要とするウィンタースポーツが出来る人というのは、まずもってそれだけの財力がはじめになければいけない、というこ とが潜んでいるのではないか、だからこそ、そこに私のようなアジア系やアフリカ系、ラテン系といった人々の顔が見出せないのだろうか?などと考えてしまっ たのです。
もちろん、代表の人々のことを悪く言うつもりはなく、彼らは多くの努力をしてここまでやってきた素晴らしいアスリートたちだと思います。
でもその根底にある国の人種、貧困といったものが見え隠れしている感じがして、いつもはただ「わあ~、すごい」と楽しんでみていた開会式を単純に楽しむことが出来ず、途中で見るのをやめてしまいました。
今までそうやって見てきた数々の開会式。本当はそんな単純なものではなかったのだろうな、なんて思ったりして・・・
こんな風に平和の祭典といわれているオリンピックの開会式を見てしまう、斜め目線の自分にもちょっと悲しくなったりもしました。
でも、そんな綺麗事ではないのだ、ということは、確かだと思う。
私が一番印象に残っているオリンピック開会式というと1994年ノルウェーで行われたリレハンメル冬季オリンピックの開会式。
そこでノルウェーの国民的歌手といわれたシセル・シルシェブー(今はシセルという名で知られているようですね)
http://www.sissel.net/
または日本語でのサイトではこちら↓
http://www.universal-music.co.jp/classics/non_cla/sissel/
がその透き通った歌声を披露したのを良く覚えています。
そのあと彼女のアルバムも買ってよく聞いていたな。
今回のバンクーバー・オリンピック、ブライアン・アダムスやネリー・ファルタード、サラ・マクラクランといったカナディアンシンガーたちが出ていましたが、やっぱりリップシンキングだったのかな?残念。
私はサラ、好きですが、昔のもっと暗くて毒気のある感じの彼女の歌のほうが好きです。最近の彼女の歌は綺麗過ぎてつまんなくなってきちゃった。
と、久しぶりにだらっだらの日記です。
とりあえず後味の悪かった開会式のことは横において、日本とカナダ両方を応援したいと思います。
ちなみに日本で今回メダルが取れそうっていう競技は何ですか?
昔はスキーのジャンプとか、スピードスケートとかすごかったけれど・・・やっぱりフィギュア・スケート??
カナダ・トロントではあんまり盛り上がっている感じはしないですが(多分一番盛り上がるのはやはりホッケーでしょうか・・・)、
私はオリンピックってなんだかんだ言って、いつも見ています。
特に見るのがすきなのが開会式。
昨日も見ましたが、実にカナダらしいモチーフをちりばめた感じでしたね。
このバンクーバー・オリンピックではオフィシャルロゴもそうだけど、カナダの先住民の人たちをリスペクトている、といったメッセージをどうやら醸し出したいようで、開会式でも十分にそういったところが見られましたよね。
でも実を言うと、結構複雑な気持ちで見ていました。
というのはカナダに住んでもう7年目。
カナダという国がどのように先住民を扱ってきたかということは知っています。
アメリカと同じように、彼らはヨーロッパからやってきた人々に追い出され、キリスト教に改宗させられたり、その文化を剥奪されたり。
「先住民」というとアルコール依存症の人たち、といったイメージさえあるほど。
そして彼らが集められたエリア周辺でオイル採掘が行われ、彼らの健康を蝕んでいたり・・・
もうひとつ開会式を通してカナダが伝えたかったのは、さまざまな人種、文化が融合した「カルチュアル・ダイヴァーシティ」ということでしょうか。
でもカナダの選手たちの顔ぶれはまったく「カルチュアル・ダイヴァーシティ」、さまざまな人種が見られることなく、ほぼ9割がいわゆる白人種であったと思います。
それはもしかしたら冬季オリンピックの種目がもともと寒い国で栄えたスポーツを中心にしているから、ということで、必然的にも、それらスポーツに慣れ親しんできた人々がうまくて、代表になっているというのもあるのかもしれない。
でも2010年の今、カナダという国を見れば、それこそ本当にいろんな人種が混ざり合って暮らしているわけです。
それなのに、カナダという国を背負って出てきている人々の顔ぶれのなんと単調なことか・・・
その奥に、多くのスポーツ用品などを必要とするウィンタースポーツが出来る人というのは、まずもってそれだけの財力がはじめになければいけない、というこ とが潜んでいるのではないか、だからこそ、そこに私のようなアジア系やアフリカ系、ラテン系といった人々の顔が見出せないのだろうか?などと考えてしまっ たのです。
もちろん、代表の人々のことを悪く言うつもりはなく、彼らは多くの努力をしてここまでやってきた素晴らしいアスリートたちだと思います。
でもその根底にある国の人種、貧困といったものが見え隠れしている感じがして、いつもはただ「わあ~、すごい」と楽しんでみていた開会式を単純に楽しむことが出来ず、途中で見るのをやめてしまいました。
今までそうやって見てきた数々の開会式。本当はそんな単純なものではなかったのだろうな、なんて思ったりして・・・
こんな風に平和の祭典といわれているオリンピックの開会式を見てしまう、斜め目線の自分にもちょっと悲しくなったりもしました。
でも、そんな綺麗事ではないのだ、ということは、確かだと思う。
私が一番印象に残っているオリンピック開会式というと1994年ノルウェーで行われたリレハンメル冬季オリンピックの開会式。
そこでノルウェーの国民的歌手といわれたシセル・シルシェブー(今はシセルという名で知られているようですね)
http://www.sissel.net/
または日本語でのサイトではこちら↓
http://www.universal-music.co.jp/classics/non_cla/sissel/
がその透き通った歌声を披露したのを良く覚えています。
そのあと彼女のアルバムも買ってよく聞いていたな。
今回のバンクーバー・オリンピック、ブライアン・アダムスやネリー・ファルタード、サラ・マクラクランといったカナディアンシンガーたちが出ていましたが、やっぱりリップシンキングだったのかな?残念。
私はサラ、好きですが、昔のもっと暗くて毒気のある感じの彼女の歌のほうが好きです。最近の彼女の歌は綺麗過ぎてつまんなくなってきちゃった。
と、久しぶりにだらっだらの日記です。
とりあえず後味の悪かった開会式のことは横において、日本とカナダ両方を応援したいと思います。
ちなみに日本で今回メダルが取れそうっていう競技は何ですか?
昔はスキーのジャンプとか、スピードスケートとかすごかったけれど・・・やっぱりフィギュア・スケート??