今週は同僚が数日間の有給休暇でいなかったので、その穴埋めで新しい仕事を任されました。
幼い頃、30歳を過ぎるというのは、とても大人で、怖いものなんてなくなるのではないか、と思っていたけれど、
未だに小さなことでも新しいことに向き合うとき、緊張して、怖いな、と思ってしまうのは、変わらない。
でもいざやってみたら、「な~んだ、大したことなかったじゃない」と思うものなんですよね。
今回もいきなり「休みを取るから、この仕事のやり方、教えるね」と言われてから、実際一人で取り組むまで、ちょっとびくびくしていたのに、そんな心配ははじめて5分もしないうちに吹き飛んでしまったのでした。
ここ最近、よくTokyoFMのポッドキャストを仕事中聞いています。いろいろ探したけれど、ここのが一番自分には合っているみたいです。
もともとラジオも、わーっと明るく賑やかにおしゃべりしているものは実は好みではなく、普段はあまり聞きません。
それでも学生時代には好きなアーティストが出ているラジオ番組を待ち遠しく感じて、テープに録音したりしていたものです。懐かしいな。
私がソウル・ミュージックを好きになったのも、ラジオがきっかけだった気がします。
今日はやはりTokyoFMの、DOCOMO シーソーメール 〜SHE SAW MAIL〜というポッドキャストを聞いています。
長谷川京子さんと長塚圭史さんのお二人がメールでやりとりをする男女の物語を演じているものです。
カナダに移って7年。長谷川さんのことも、長塚さんのことも、存じ上げませんでしたが(長塚さんはお父様のほうだとてっきり思っていました)、お二人とも、落ち着いた静かな語り口が耳に心地よく、
どこか寂しくて切ない現代の社会人の気持ちが綴られていて、私の心までも、日本にトリップするような、そんな気持ちになってしまいます。
ここ最近、ポッドキャストを聞いたことがきっかけになって、いろいろなことが思い起こされたり、そこで聞いたことが気になって調べてみたり、なんてことをしていたのですが、
日本語を直に耳にしていることと、その会話の中から日本の文化や景色を感じるせいか、ちょっと感傷的な気持ちになることがあります。
でもそれはただ単に「寂しい」というのではなくて、懐かしくて、大切にしていきたい、失うことのないもののような暖かさが奥に潜んでいて、ちょっと複雑な気持ちです。
7年もカナダで暮らしていると、こちらでの生活が当たり前になって、ふと、日本での生活が、まるで別世界のように感じる一瞬というのがあります。
それはもう本当になんてことない日常の景色からはっと気づいたりするのです。
そういうとき、自分が一人きりになったような、なんともいえない気持ちになります。ここにも、どこにも自分が属していないような、属せないような、そんな置いてきぼりをくらったような・・・
自分がここに来て得たもの、日本を去って失ったもの。比べることなどできないはずなのに、ないものねだりで落ち込んだり・・・
そんな気持ちをこのポッドキャストを聞いて、なんだか直感的に共感できて、嬉しいような悲しいような。
日本語での会話に飢えているのかもしれません。ここ最近忙しくて、家族に電話もなかなかできず、以前は毎週のように姉とも会話していたのに、今は1ヶ月に1回ほどに減ってしまいました。
ああ、でもポッドキャストを聞いていたときに感じた自分の思いを、今半分も言葉にできていないな・・・
もうちょっと日本語という贅沢の中に身を沈めて、自分の思いをふくらませようと思います。
今日は金曜。あと数時間で、仕事も終わり。あともう少し、頑張りますか!
幼い頃、30歳を過ぎるというのは、とても大人で、怖いものなんてなくなるのではないか、と思っていたけれど、
未だに小さなことでも新しいことに向き合うとき、緊張して、怖いな、と思ってしまうのは、変わらない。
でもいざやってみたら、「な~んだ、大したことなかったじゃない」と思うものなんですよね。
今回もいきなり「休みを取るから、この仕事のやり方、教えるね」と言われてから、実際一人で取り組むまで、ちょっとびくびくしていたのに、そんな心配ははじめて5分もしないうちに吹き飛んでしまったのでした。
ここ最近、よくTokyoFMのポッドキャストを仕事中聞いています。いろいろ探したけれど、ここのが一番自分には合っているみたいです。
もともとラジオも、わーっと明るく賑やかにおしゃべりしているものは実は好みではなく、普段はあまり聞きません。
それでも学生時代には好きなアーティストが出ているラジオ番組を待ち遠しく感じて、テープに録音したりしていたものです。懐かしいな。
私がソウル・ミュージックを好きになったのも、ラジオがきっかけだった気がします。
今日はやはりTokyoFMの、DOCOMO シーソーメール 〜SHE SAW MAIL〜というポッドキャストを聞いています。
長谷川京子さんと長塚圭史さんのお二人がメールでやりとりをする男女の物語を演じているものです。
カナダに移って7年。長谷川さんのことも、長塚さんのことも、存じ上げませんでしたが(長塚さんはお父様のほうだとてっきり思っていました)、お二人とも、落ち着いた静かな語り口が耳に心地よく、
どこか寂しくて切ない現代の社会人の気持ちが綴られていて、私の心までも、日本にトリップするような、そんな気持ちになってしまいます。
ここ最近、ポッドキャストを聞いたことがきっかけになって、いろいろなことが思い起こされたり、そこで聞いたことが気になって調べてみたり、なんてことをしていたのですが、
日本語を直に耳にしていることと、その会話の中から日本の文化や景色を感じるせいか、ちょっと感傷的な気持ちになることがあります。
でもそれはただ単に「寂しい」というのではなくて、懐かしくて、大切にしていきたい、失うことのないもののような暖かさが奥に潜んでいて、ちょっと複雑な気持ちです。
7年もカナダで暮らしていると、こちらでの生活が当たり前になって、ふと、日本での生活が、まるで別世界のように感じる一瞬というのがあります。
それはもう本当になんてことない日常の景色からはっと気づいたりするのです。
そういうとき、自分が一人きりになったような、なんともいえない気持ちになります。ここにも、どこにも自分が属していないような、属せないような、そんな置いてきぼりをくらったような・・・
自分がここに来て得たもの、日本を去って失ったもの。比べることなどできないはずなのに、ないものねだりで落ち込んだり・・・
そんな気持ちをこのポッドキャストを聞いて、なんだか直感的に共感できて、嬉しいような悲しいような。
日本語での会話に飢えているのかもしれません。ここ最近忙しくて、家族に電話もなかなかできず、以前は毎週のように姉とも会話していたのに、今は1ヶ月に1回ほどに減ってしまいました。
ああ、でもポッドキャストを聞いていたときに感じた自分の思いを、今半分も言葉にできていないな・・・
もうちょっと日本語という贅沢の中に身を沈めて、自分の思いをふくらませようと思います。
今日は金曜。あと数時間で、仕事も終わり。あともう少し、頑張りますか!