Toronto News Letter

カナダからその生活の様子、趣味の音楽や映画についてを発信。 2011年に念願の家を購入してからはガーデニングに没頭しています!

*Family

心に残るギフト

ようやく金曜日、というような気もすれば、もう金曜日??という感じもするのですが、何はともあれ、金曜です!
そして今は金曜の夜?!嬉しいです。
今週もものすごく忙しかった・・・
そんな忙しさによる疲れを忘れさせてくれるような嬉しいことがありました。

それは日本の家族からの荷物。

ここ最近は実家から何かが送られてくるということがほとんどなくなりましたが(郵送だけでもかなりのお金がかかるからね)
来週が私の誕生日ということで、なにやらいろいろ送ってくれた様子。
デイブの誕生日も先月だったしね。

両親からは洋服やらバッグなど、姉と彼氏からはかわいいキッチングッズやデイブには日本の風流ってことで風鈴など。
その中でも心に残ったのはやっぱり手紙でした。
最近忙しさにかまけて手紙どころか電話も出来ずにいた自分に反省。やっぱり手紙っていいな。

あともう二つ心に残ったものがあって、ひとつは実家前に流れる川沿いに咲く桜の写真。
大きく引き伸ばされた写真で、名もない場所が満開の桜のせいで、まるでどこかの観光地かと思うくらい違って見えました。

カナダにいて、この美しい満開の桜を見ることのできない私とデイブのためにきっと撮ってくれたんだな、と思うと、なんだかじーんときました。

もうひとつは母手作りのかばん(写真)。

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母のバッグ好きはしっかり私に受け継がれ、デイブにも誕生日にバッグを買ってもらいましたが、母が荷物を送ってくるときには必ずといってもいいほどバッグが入っている気がする。
どれも布の軽いものばかりで、既製のものもあれば、今回みたいに手作りのものだったり。
でもやっぱり母手作りのものは暖かみがあって、スタイルとかそういうのではなく飛びぬけてるな。
とはいえ、これは和風のちりめん風の布を使っていて、なかなかかわいいでしょ?

自分のためを思って作ってくれたんだろうな?。いくつになってもこうやって気にかけてくれる家族がいるということ、本当に幸せだな、と思ったのでした。

姉からのギフトもかわいくて、姉らしく、自分のために選んでくれたのもなんだかすごく納得できて、これまたちょっと感慨にふけってしまいました。
ギフトの価格とかはもうどうでもよくて、やっぱり気持ちが何よりも嬉しいよね。

私の大好きなおばあちゃん

ちょっと遅くなりましたが、11月10日はうちの祖母の誕生日でした!
私のうちは自営業をやっているので、私が小さかったころは母もとにかく忙しく、
祖母がよく私の面倒を見てくれたので、私はかなりのおばあちゃんっ子です。

おばあちゃんは今年で86歳になりました!!
すごいね、私なんかはまだ27年しか生きてないので、86年なんて倍の倍ですよ。

大正時代生まれで、戦争も体験して満州でうちの母を産み、その後は東京で洋裁の店を持って忙しく働いていたおばあちゃん。
頑固なおじいちゃんを支え、忙しくて自分のための時間を持つことも出来なかった人なので、
祖父が亡くなってからも友達と出かけるといったことがなく、家で洗濯したり、得意の裁縫の直しをしたり・・・

最近は体も弱ってきたものの、特に大きな病気をすることもなく毎日を過ごしていると言うのでよかった、よかった。

数年前からおばあちゃんは週1回、地元の「デイケア」と言うところにいって他のお年寄りたちといっしょにゲームをしたりして楽しんでいるようです。
今までそうやって自分のための時間を持てず、趣味もなかった人なので、今ようやく祖父から解放されて自分の時間を楽しんでいるみたい。
なによりも日々の生活にこういう楽しみがある、というのは長生きの秘訣なんではないでしょうか。

一時帰国をした2年前、またお別れというときに「見送りはしないよ、つらいから」といって涙ぐんでいたおばあちゃんの姿が消えません。
いつも孫のことをかわいがり、時には厳しく、見守っていてくれるおばあちゃん。
超がつくほどの心配性で、自分のことより人のことを心配しているような人なんです。
だからこうして海外で生活している私のこともいつもずいぶん心配しているだろうし、私は末っ子で特におばあちゃんと過ごした時間も多かったので、寂しがっているだろうなあと思うと、いつも胸が痛みます。

おばあちゃん、誕生日おめでとう。これからも元気でいてね!
来年には顔を見せに帰るからね!

My Parents Part 2

母は温和な性格で、まず怒った姿が思い出せない。
その反対に父は短気。
それでも小さいころ、勉強のことで小言を言われたことは全然なかったですね。
二人ともある意味無関心というか「うちらも勉強はよく出来なかったからえらそうな事はいえない」
とよく言っていました。
「勉強しなさい」とか成績でうるさく言われなかったのは本当によかったなあ、と感謝です。
だから勉強することをあまり苦痛に感じたことがなかったですね。

私にはあまり反抗期って時期がそんなになかったんですけど、
やはり父に対して、というか父の浮気に対してとても反発心があったのを覚えています。
あと父はよく怒っては怒鳴り散らしていたし、うちは母方の祖母と一緒に同居しているのですが
(うちの父が母の家に婿に入ったので)
母はよく「あの人はかわいそうに家族の愛っていうのをあまり受けずに育ったから、
自分の家族にもどうやってうまく愛情を示したらいいのかわからないのよ」とか
「親がいなかったも同然だから、うちのおばあちゃんにもあまり優しくできない」
などとこぼすことがありました。

母とは仲良く、いろいろ話もしたし、
大学生のころなんかもよくいっしょに近くに買い物に行ったりしたものです。
母と姉と私の三人は友達みたいな感じです。

父は頑固で、私は末っ子ということもあって、けっこうかわいがられていたせいか、
やはり彼氏ができ、しかも結婚前提で付き合っているのがカナダ人、
ということに相当の抵抗があったようで、
遠距離時代、たびたびカナダに行くときもそれを報告すると、とにかく嫌がって、
嫌味を言われたりしたものです。

母は理解してくれましたけど、父は最後まで頑固で、
私がこっちに来る1年前くらいかな?家族で温泉旅行に行ったのですが、
そのときにやはり彼のことやカナダ行きの話をしたらまるっきり無視。
当時は私もそれで相当悩んだけれど、今思うと父もかなり寂しかったんだろうな、と思います。

それでもちゃんと話し合って、両親に祝福されて結婚できたからよかったですが。

デイブは2度日本に来ているし、うちの両親も一度トロントに結婚式のために来て、
デイブとはうまくやっていますよ。
両親はまったく英語は話せないけれど、何とかなるものですね。
父はデイブが来ると一緒にビールなんか飲んだり、「これも食ってみろ」とかいって
いっしょに飲めるのがうれしかったみたい。

と、なんかとりとめもなくだらだらと書いてしまったなあ・・・

ひとりごとというのには長すぎるけど、まあそんな感じに受け取ってください。

でもやっぱり私、うちのお父さん、お母さんが大好き!
両親だけでなく、おばあちゃんも大好き!
家族みんなが健康で長生きしてくれることを本当に祈っているんです。

My Parents Part 1

「東京タワー」を読んで、ちょっとうちの両親、家族のことが書きたくなった。
これ思ったのはうちの母にちょっと似てるなあってこと。

うちの母は満州で産まれたのですよ。
祖父が兵隊として満州にい、祖母は大きなお腹を抱えて向こうの病院で母を産んだのです。

祖母はその後ひとりで先に日本に帰るんですが、
その船の中で病気や餓死をしてしまった母と同じくらいの赤ん坊を
海に泣きながら投げ捨てる人がたくさんいた、ということをよく話してくれましたが、
祖母も「このままこの貧乏な生活の中でこの子を育てられるのか」という不安で、
一瞬母を海に投げようかと思ったことがある、と当時の気持ちを語ってくれたことがありました。

祖母が思いとどまってくれてよかった。
そうでなければ私も今ここにいないのだから。

祖母と母は祖父の田舎の青森県の実家に居候。
農家だったのでとりあえず少しは食べるものはあったらしいですが、
母は赤ん坊のころはガリガリに痩せていたそうです。

それでも母はその後健康に育って、一家は東京に引っ越します。
祖父と祖母はそこでテイラー業をはじめます。
一時期は縫い子さんなどを含め10人もの人が働いていて、
とにかく忙しくにぎやかだったそうで、母もそんな中で育ってきたからか、
人付き合いのうまい、明るい人柄になったのかな?

母は中学までは学校にいき、そのあとは家で裁縫の手伝いをしていたようです。
お見合い結婚でうちの父と一緒になるちょっと前に他の店で
やはり縫い子として手伝いに出たりしていたみたいですが。

結婚して数年後に長男を出産、そのすぐに長女、そして数年あけて私が生まれたわけです。

父は東京都大島生まれ。
生まれたとき既に父親は亡くなっていて、母親は父と伯父を親戚に預けて働いていたようですが、
その母も亡くなって、父と伯父はその親戚のおじさんに育てられたわけです。
でもやはり自分はよそさまにお世話になっている、という気持ちが強くて
早く独立したい、そう思ってまずは手に職をつけなければいかん!と、
大工の見習いに出たそうです。

見習いをしながら定時制の高校に通い、一通りの技術を身に付けて、
東京に上京し、そしてうちの母と結婚することになったのです。

父はけっこうな遊び人で、仕事のため(父は後に自分の工務店をはじめました)
もありいろいろ人付き合いで飲みにいったりしていたようです。

私が大きくなって既に父が浮気をしていることなんかもしっていたけれど、
母はそれにじっと耐えていたのですね。
やはりそれは子供のことを考えて、そして今まできちんと働いたことのなかった母にとって、
父と別れて3人の子供たちをきちんと育てられるのか、という経済的な不安もあったから、
と後に聞いたことがあります。

そんなこんないいながら、今でも一緒に、いまや父も老いて、
母に頼る部分(精神的に)も多くなってきているようで、
長年連れ添った仲、仲良くやっているようです。
とはいってもやはり父はいまだにわがまま、亭主関白ですが。

続く
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